今さら聞けない肉の常識

第41回
<ガス麻酔と畜法の利点> 日本獣医畜産大学畜産食品工学科肉学教室

 と殺(と畜)工程の条件は,家畜にストレスや苦痛を与えないこと,そして良質の食肉を得ることです。基本的には,動物をスタニング(Stunning=失神状態)し,その間に放血致死させるのですが,スタニングにする方法に電撃法,打額法等があります。
 しかし,いずれも最良の方法ではありませんでした。近年,炭敵ガスを用いた麻酔と畜法が開発実用化され,わが国の食肉センターにおいても導入するところが増えてきています。
 炭酸ガスによる麻酔法は1950年代アメリカにおいて人間の無痛分娩に用いられたのが始まりといわれています。その後,良好な結果と評判を知ったアメリカのホーメル・バッキング社が1952年豚のスタニングとして応用開発したのが「豚のと畜前失神法」,すなわち「炭酸ガス麻酔と畜法」なのです。なお,装置の方はデンマークのプチナ社が開発,専門メーカーとして世界的に有名です。
 基本的な方法は,炭酸ガス65〜85%,空気15〜35%の混合ガスを約20秒間吸入させ.40〜60秒後,完全麻酔期中に中空ナイフを用いて頸動脈,頸静脈から放血し失血死の状態を作ります。
 炭酸ガスは空気中の酸素とともに肺内に入ると酸素の約20倍の早さで血液中に溶け込み,血液を酸性化しpH低下,いわゆるアシドーシス状態を引き起こします。アシドーシスというのは,血液の水素イオン濃度pHが正常域の7.4±0.05より下がった状態をいいます。
 このようにして酸性化した血液は心購の働きで全身を循環し各所に影響を与えます。血液は脳の中枢神経細胞にも速やかに溶解拡散され,PHが0.5程度低下するために短時間に一時的なアシドーシスによる機能不全を起こさせ,機能消失状態いわゆる麻酔のかかった昏睡状態を起こさせるのです。
 まったく意識のない安静状態での放血処理となりますので,ストレスは電撃の約4分の1と少なく,筋肉中のグリコーゲン消失も少ないのが特徴です。また,炭酸ガス使用のため,死後の筋肉pH値の酸性極限が低く,弛緩している筋肉状態等から筋肉内出血等も避けられます。炭酸ガスは体内でのブドウ糖によるエネルギー代謝産物として存在するものですので,有害性はまったくありません。
 放血が悪いと筋肉内残留血液量が多く,食肉の保存・品質に大きな悪影響を及ぼします。一般に生前は筋肉の深部組織の細菌(内在菌)は存在しませんが,放血工程中に切り口を大きくすることにより放血時に細菌が体内深部に侵入,増殖して保存牲が低下してしまいます。その点炭酸ガス麻酔法の場合,生体,放血用具の消毒洗浄はもちろんですが,放血部位確保,小さい切り口で速やかに多量の血液流出量が確保できるので食肉の保存性が良いのが利点です。また高タンパクである血液を処理加工し食品,医薬品等に有効利用していますが,その原料となると畜血液の採取においても高い歩留まりが期待できます。
 炭酸ガス麻酔と畜には,PSE肉(フケ肉,ムレ肉)の発生がきわめて少ないといわれます。それはPSE発生要因と考えられている乳酸の生成を促進させる「サイクリックAMP(アデニル酸)」の値が低いからです。炭酸ガス麻酔と畜後の筋肉中では,乳酸を作る酵素(アデニール酸ミクラーゼ)が低いpHの影響で活性を抑制され,PSE肉の原因となるサイクリックAMPの生成も抑えられ,その結果,乳酸も生成されずPSE肉も発生しないといわれています。
       (鏡 晃)
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